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駅前留学とアーサーの家族

【不思議な縁・・・】
個人旅行に変えたきっかけ」にも書いたが、2004年、私は自分の英語力の弱さを克服するために、駅前留学で有名な英会話のNOVA・六甲道校に通い始めていた。NZ渡航前の7月には10回程度の短期集中講座を受講したが、個人旅行計画を思い付いた渡航後には、本格的に職業訓練給付金コースの受講を開始していた。
 
海外での個人旅行・・・特にスキー旅行の場合、レンタカーの運転が必須といえる。NZの場合、車は日本と同じ右ハンドルで、道も比較的空いているため、日本人ドライバーにとって運転しやすい国だと言われていた。
しかし、初めての個人旅行計画では、クライストチャーチからトワイゼルまで290km、片道3時間以上のドライブを行う必要があった。いきなり海外でこれだけの運転をしなければならないプレッシャーは相当なものだった。
 
本格的に職業訓練給付金コースを受講し始めて2か月ほど経過した10月のある日、偶然にも、NZのクライストチャーチ空港から10分程度の所に住んでいるという初老の男性、アーサーが講師として来日した。アーサーは、すらりと背が高く、ロマンスグレーの髪を常に短髪にしており、どこか凛としたたたずまいがあった。講師としては初心者ながら、年の功か?教え方は生徒のレベルに合わせる感じで、他の生徒さんからの評判も良かった。
 
英会話初心者の私は、講師としては、当時まだ新米だったアーサーのレッスンに組み込まれることが多かった。給付金のコースはグループレッスンが基本であるし、講師が誰になるのか?レッスンの時まで全くわからなかったが、他の生徒さんの都合で、アーサーとプライベート状態になることは、しばしば発生しており、その際、レッスンの話題が私のNZの個人旅行計画になってしまうのは、ごく自然な流れだった。
 
現地の地図を見ながら、アーサーと英語でやり取りをしたことは、ある意味、通常のレッスンを越えており、得られた収穫も大きかった。特にクライストチャーチからトワイゼルまでの道順や道路状況、日本にはないロータリーでの運転ルールやコツなど、事前に調べて得た知識以外の、アーサーの口から語られる現地情報は何よりも貴重であった。当然の事ながら、アーサーの方も私とのレッスンに関してはかなり力が入っていたように思う。
 
そして翌2005年の夏、私はアーサーに送り出されるような形で、彼の故郷であるクライストチャーチに向けて旅立つことになる。出発の直前、アーサーは「万が一、トラブルに遭遇した際は、私の自宅を訪ねる様に!家族全員に事情を説明しておいたから。」と、クライストチャーチの連絡先を教えてくれた。何とも有難い話だった。
 
NOVAでは教師と生徒の個人交流は禁じられていたが、直接、会うでもなし、日本以外の話だから大丈夫だと、お互い考えた。もちろん、万が一の事態は発生せず、アーサーの家族に連絡をすることは無かったのだが、こうした縁もあり、2006年にはクライストチャーチのアーサーの自宅を訪問して、ご家族に会うことになるのだった。
 
まぁ、ここまでの話は、よくある普通の話ではないかと思う・・・
 
 
【別校でのフリートークレッスン・・・】
NOVAのレッスンには、フリートークというチケット制の自由参加型レッスンがあった。少し広めの部屋で、5~10人程度の生徒さんに対して1人の教師が付き、フリートークという呼び名の通り、テーマを決めて英語で雑談したり、場合によっては欧米の子供がするようなゲームをするのである。フリートークは、基本、全国、どの校で参加しても構わないシステムになっており、私は実践を兼ねて、敢えて母校である六甲道校ではなく、帰宅途上の垂水校のフリートークに参加するようにしていた。
 
それは垂水校のフリートークに参加し始めて3回目ぐらいの頃だったと思う・・・偶然にも、NZから来た若い女性教師とプライベート状態になった。彼女の名はアレックス・・・クライストチャーチから来たという。フリートークでプライベート状態になるのは大変珍しく、この時が最初で最後ではなかったか・・・と思う。
 
しょっぱなの自己紹介で、私が六甲道校から来ていることを告げると、アレックスはアーサーを知っているか?と言う。私はとても良く知っているよ・・・と答えた。私はその時、やはり同じNZ人同士は情報共有でもしてるのだな・・・と思ったのだが、その矢先、彼女はとんでもないことを言った。
 
アーサーは私の父だ・・・これには全く驚いた。もしこの時、他の生徒さんが居れば自己紹介などは無く、この話題は出なかったということだ・・・。もちろんのことだが、妙なテンションで、この偶然のプライベートレッスンは終了した。その後、垂水校でのフリートークで、何度かアレックスが担当となったが、前述の通りプライベート状態になることは二度と無かったし、個人的な話題をトークすることもなかった。
もちろん、次にアーサーのレッスンになった際、この話を伝えたのは言うまでもない。
 
それにしても・・・である。
事情はこうだった。アーサーは長年、いわゆるブルーカラーの業種に就いて家族を養っていたのだが、息子が父親を真似て、安易にブルーカラーの業種に進もうとするのを見て、自分が手本を示す必要があると考え、50歳でクライストチャーチ大学に入学した。4年後の54歳で卒業し、NOVAの教員プログラムを修了した後、日本に来たのだという。素晴らしい話なので、私が勤めていた会社の朝礼での自己スピーチのネタにさせてもらったぐらいだ。
 
一方、アレックスは父より先、数年前、職場の休職のシステムを利用して来日し、NOVAで英会話を教えていた。アーサーは娘のアレックスを後追いする形で来日したのだった。当時、六甲道と垂水の両校を行き来していたのは私だけで、いろんな面で偶然が重なり合ってアーサー親子を知ることになったのだ。
 
 
クライストチャーチ空港の・・・】
翌2005年のNZ渡航・・・つまり、人生初の個人旅行の際、クライストチャーチ空港で少し待ち時間が出来た私は、相方のSAK氏に1年分のネタの一つとして、駅前留学の話題とアーサーとアレックスとの不思議な縁を説明していた。私は、SAK氏の「アレックスはどんな感じの顔ですか?」との問いかけに、やや返答に困惑しながらも、欧米人の顔つきを説明するにはどうすれば良いのか?単純だが意外に難しい話について考えを巡らせていた。話題は既に逸れていたのだが、私はアレックスはこんな顔だったなぁ・・・と、南極博物館のグッズショップの看板を眺めていたのだった。
 
そして帰国後、アーサーとプライベート状態となった時、必然的にNZ旅行の報告会となったのだが、その時、アーサーの口から驚くべき話題が出た。アレックスはクライストチャーチ空港のポスターのモデルである・・・
あれだ!その時、雷に打たれた様な衝撃が走ったのは言うまでもない。クライストチャーチ空港のポスターというのは、実は南極博物館のグッズショップの看板のことだったのだ・・・。
この時、当のアレックスは、既にNOVAとの契約が終わってNZに帰国しており、直接話を聞く機会は2006年にクライストチャーチの実家を訪ねるまで無かった。どうやら撮影は、来日以前の話だったらしい。
この偶然・・・少し怖くて寒気がした。
 
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つまり、アレックスは南極博物館グッズショップの看板娘だったという訳だ。実は彼女、南極博物館のスタッフで、休職申請を出して日本のNOVAで英会話を教えていたのだった。(※)欧米ではこういうシステムはよくあるらしい。
 
この写真は2006年に撮影したものだ。本人だから似ているのは当然である(笑) ただし、やや雰囲気が異なる。それはアーサーに言わせれば、撮影用にメイクしているからだという。この看板は2009年の最後の渡航の際までは存在していた。
 
こういった経緯もあり、2006年にはクライストチャーチ市内のアーサーの自宅を訪問することになった。その時、アレックスは旦那さんと共にNZだったが、アーサーの方はレッスンで日本だった。ちなみにアレックスの旦那さんは何と日本人!実は大変な親日一家だったのだ。
 
 
 
【アーサーの家族を訪ねた時のこと・・・】
クライストチャーチのアーサーの家族を訪ねたのは2006年、NZ渡航は5回目、個人旅行2回目の時である。
この年は、相方のSAK隊員より先にNZ入りし、アッシュバートン、オマルー、ダニーデン、オマラマ・・・と渡り歩いてスプリングフィールドに落ち着いた。
 

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この流れ旅の際、アーサーが生まれ育ったという、ティマル近郊のサウスバーンという集落を訪ねてみた。
 
サウスバーンは、1軒の教会と4軒ほどの農家がある小さな集落で、アレックスも幼少の頃までここで育ったのだという。
後に知ったが、集落全員がアーサーの親戚だということだった。
十字路の角に記念塔があり、何なのか?アーサーに尋ねると、先の大戦で亡くなった方のメモリアルなのだという。
 
 →サウスバーンの教会;Googleストリートビュー
 
 
クライストチャーチ市内のアーサーの家を訪ねる日の朝、私はスプリングフィールドから車を走らせ、日本から来るSAK隊員をクライストチャーチ空港まで迎えに行った。正午を少し回った頃、SAK隊員を乗せた私はクライストチャーチ市内のアーサーの家に向かう。
 
事前に電話をかけると最初に奥さんが出たが、直ぐに若い日本人男性に代わった。アレックスの旦那さんのKMIさんである。これ以降、この日はKMIさんの通訳にお世話になりっぱなしだった。私とSAK隊員では、NZ人の家庭訪問は難しかったかもしれない。
 
KMIさんは京都の出身だが、NZが好きでこちらに来て住んでいるのだという。一方、アレックスは日本が好きで日本に行っている。互いに国を交換したら・・・と冗談のように笑っていた。KMIさんも一度だけNOVA垂水に行ったことがあるという。語学力テストを受けると、さすがに「ネイティブ」にはならなかったそうだが、これは一番身近にいる奥さんのアレックスが、一番、意外に感じたのだという。
 
アーサーの家は聞いていた通り、空港から10分程度の所だった。家の前の道にアレックスが出迎えてくれたので、迷うことは無かった。アレックス、KIMさん、アーサーの奥さん、一瞬だけ息子さん、そして奥さんの弟さんの出迎えを受ける。
 
パンケーキを頂いたりしながら、3時間ほど過ごしただろうか?かなり細かな話まで出たが、私が直接理解できたのは半分ぐらいだっただろうか?KIMさんの存在無しでは、この訪問は成し得なかったことだろう。
 
 
【英会話・・その後】

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さて、職業訓練給付金コースは約1年かけて、2005年の年末に、無事、修了。その後、フリートークのチケットを購入して定期的にNOVAに通い続けていたが、アーサーが芦屋校に移動となり、接点が無くなってしまう。
 
また、2007年10月にはNOVAが倒産し、ちょうどその直前に、フリートークのチケットも使い切ったので、アーサーとはそれっきりとなってしまった。
 
NOVAではアーサーやアレックス以外にもう一人、インバーカーギルから来たオタゴ大学の学生さんも居た。
 
もう、かれこれ10年近く前の話である・・・・・
 
 
Schi Heil !!